論語

父母の年は知らざるべからず 論語 孔子

子曰く、父母の年は、知らざるべからざるなり。一は則ち以て喜び、一は則ち以て懾る、と。

 

 孔子が言われる。子として父母の年は知っていなくてはならぬ。すなわち、一方では、この年になってもまだお達者でおられるかとその長寿を喜び、他方では、もうこの年では先も短いのではないかと心配しつつ、一日を惜しんで孝養すべきだ。

 

老人福祉が大きな社会問題となっている今日ではあるが、親を思う子供の心情は古今東西を問わず同じであろう。親の残り少ない生命の一日一日を愛しんで親に孝を尽くすことを「愛日の誠」という。なおこの里仁編には「子曰く、父母在す時には遠く遊ばず、遊べば必ず方有り(行く先をはっきりさせる)」、「子曰く、父母に事えては機諫す(角立たぬよう諌める)。志の従われざるを見ては、又敬して違わず、労して怨まず(無理を言われても怨まない)」など孝についての章が四章続いている。

 

 

明治書院 論語より

父母の年は知らざるべからず 論語 孔子

哀公社を宰我に問う 論語 孔子

哀公社を宰我に問う。宰我対えて曰く、夏后氏は松を以てし、殷人は柏を以てし、周人は栗を以てす。曰く、民をして戦慄せしむ、と。子、是を聞きて曰く、政事は説かず。遂事は諌めず。既往は咎めず、と。

 

 

 

魯の君、哀公が社の神木について宰我に質問した。宰我は、「夏の時には松を用い、殷の時代には柏を用い、周になってからは栗を植えました。周で栗を植えたのは、罪を犯した者を罰するぞと、人を戦慄させるためのものであります」と答えた。孔子がそのことを聞いて、「できてしまった事はいまさら言っても仕方がない。済んでしまった事は後から諌めても何にもならぬ。過ぎ去ってしまった事はとがめだてしたって始まらないが、それにしてもまことにつまらぬこじつけを言ったものだ。今後は十分慎まねばならぬことだ」と言われた。

 

 

 

哀公は前出。宰我は、姓は宰、名は子、字は子我。十人の高弟の一人で言語の科に入れられている。雄弁家で所説を堂々と展開するが、言葉と言動が一致しなかったのか、孔子に昼寝をして勉学を怠って叱られたり、三年の喪の長いことを論じて怒られたりと、「論語」の中では芳しくない話が多い。「社」は天子や諸侯の祭る土地神で、神が憑依するための大木を植えて神体とし、ここで訴訟をさばいたり罪人を罰したりした。周代には栗の木が植えてあったが栗の音が戦慄の慄に通じるので、口達者な宰我一流の機転で民を戦慄させるためと答え、孔子に叱られたのである。

 

 

 

明治書院 論語より


哀公社を宰我に問う 論語 孔子

命を知らざれば君子たること無し 論語 孔子

 子曰く、命を知らざれば、以て君子たること無きなり、礼を知らざれば、以て立つこと無きなり。言を知らざれば、以て人を知ること無きなり、と。

孔子が言われる。君子の君子たる所以は、知命・知礼・知言の三つに存する。天の偉大な力が、万物を創造し、それにそうあるべき道理を与えたのが天命である。人は天命を知ることによって、自分が天から受けたものを行い尽し、自分では如何ともできない窮達の運命に対しては、信じ安んずる心構えができる。このようにまず人事を尽くしても逆境にあった場合は、天をとがめず、人を怨まず、道を楽しんで安んずることができなくて、どうして君子といえようや。礼は実に人類文化の象徴である。礼を知らないと、進退のよろしきは得られず、品位は保てず、立派な文化人としての行動が確立しない。どうして君子ということができようや。言は人の心の声である。知識が磨かれ、正しい判断力があって、人の言の正邪善悪を弁じて迷わないようでなくては、どうして、良く人を知って正しく対処することのできる君子といえようや。この知命・知礼・知言の三つは、上に天に通じ、うちは己を完成し、外は人に応ずる君子の要訣である。

この章は「論語」の最後の章であり、君子の君子たる所以は、知命・知礼・知言の三つにあると言う。「命を知る」とは、天から与えられた使命を知ることで、「礼を知る」とは、社会の秩序・国家の法則・人倫の規範を知ること、「言を知る」とは、人の発言の真意を見抜くことで、これらを集約したものが、孔子の学問である。そのような意味から、この章は、学問の喜びを説いた「論語」の章の第一章と呼応しており、それで「論語」が学問に始まり学問に終わると言われるゆえんである。朱子が「この命・礼・言の三つを知れば、君子としての要件は全て備わっている。弟子がこの章を「論語」の結びとしたのは、大きな意味がある」との言葉を引いているのも、もっともなことである。

明治書院 論語 より

A leader who lacks manners will no be able to keep his position.
Listen to others before passing judgment . Otherwise , you can never understand and guide them.

From In English Konts.


命を知らざれば君子たること無し 論語 孔子

何の常師か之れ有らん 論語 孔子

衛の公孫朝、子貢に問いて曰く、仲尼は焉にか学べると、と。子貢曰く、文武の道、未だ地に堕ちずして人に在り。賢者は其の大なる者を識り、不賢者は其の小なる者を識る。文武の道有らざること莫し、夫子焉にか学ばざらん。而して亦何の常師か之れ有らん、と。

 

衛の大夫の公孫朝が子貢に、「あなたの先生の仲尼先生はどこで誰について学ばれたのか」と尋ねた。子貢が答えて言うには、「いにしえの周の文王・武王の道は、衰えたとはいえ、まだ亡び尽くさずして人々に残っています。すなわち、世の賢者はその大きな道を知っており、世の賢者でない者もその小さな道は知っています。文王・武王の道は礼楽の道として天下至る所に存して、ないところはありません。ですから、先生ほどの人になりますと、天下どこへ行ったって学ばないことがありましょうや、どこでも学ばれるとともに、ある特定のきまった先生について学ぶということもありえなかったのです」と。

 

公孫朝は衛の大臣、姓は公孫、名は朝。「文武の道」とは、周の文王や武王の説いた道のことで、孔子は周王朝の文化を理想として、その復興に力をそそいでいた。孔子にある特定の先生がいなかった(常師無し)ことは有名で、「三人行けば必ず我が師有り」というように、優れた人はもちろん、自分より劣った人からも学んだのが、孔子の学問の態度であった。なおこの問答は孔子没後のものと考えられている。

 

明治書院 論語より

 

 何の常師か之れ有らん 論語 孔子

君子の過ち日月の食の如し 論語 孔子

子貢曰く、君子の過ちや、日月の食の如し。過つや人皆之を見る。更むるや人皆之を仰ぐ、と。

 

子貢が言う、君子にも過失がないわけではない。しかし、その過ちは、小人と違って、隠し立てをしないから、衆人が皆これを見て、あの君子にもこのような過ちがあるのかと驚くことは、ちょうど日食や月食を見て、驚き怪しむようなものである。しかし君子は過ちに気がつくと、すぐ改めるものだから、その改めるのを見て、人々がさすが君子だと仰ぎ見て感服することは、ちょうど食が終わった後の日月が、再び円かにしてその光輝が前にも倍するのを仰ぎ見るごとくである。

 
The saint also takes an mistake. But he doesn't hide it like a strainings , so everybody see it and suprising such a saint also takes an mistake like seeing the elipse of the sun with suprise and doubt.
The saint soon correct his mistake so everybody see it they all feel rerespect to the saint with great admiration. It's like the sunshine after an elipse of the sun become twice sparkle before.

子貢は四科十哲の言語の科に入れられているが、君子の過ちを日食月食にたとえたのは誠に素晴らしい。日食月食はめったに起こるものではないように、君子も時には過ちを犯すが、決して隠し立てをしないので人々は驚く。だが日食月食はある時間が経過すれば元に戻るように、君子は過ちに気づけば、すぐに改めるのを見て人々はより輝きをました君子の姿を感嘆して仰ぎ見るという。じつにたくみな比喩である。

 

明治書院 論語より

 

君子の過ち日月の食の如し 論語 孔子


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