2016年03月

老子(道教) 目次

体道第一 老子 世間で一般に守るべきだと考えられている道というものは、恒常不変の真の道では
養身第二 老子 世の人々は誰でも美が美であることを知っているが、同時に美が醜の相対的概念
安民第三 老子 賢者を重視しなければ、人々は争わなくなる。珍品を貴ばなければ、人々は
無源第四 老子 道というものは、空の器のようであるが、それにいくら物を入れてもいっぱ
虚用第五 老子 天地は仁という人間的な慈愛の心は持っていない。万物を藁で作った犬に対
成象第六 老子 万物を生み出す谷の神は死ぬことがない。これを深遠な母性という。深遠な
韜光第七 老子 天地は長久である。天地が長久であることができる理由は、天地自身が生き
易性第八 老子 最上の善とは水のようなものである。水は万物に利益を与えながら他と争う
運夷第九 老子 器に液体をいっぱいにして持って、こぼすくらいなら、いっぱいに満たさな
能為第十 老子 魂を囲んでいる肉体に乗り、心に道を抱いて、そこから離れることの無いよ
無用第十一 老子 三十本の車輪の矢は空虚な一つのこしきを共有している。そのこしきは空
倹欲第十二 老子 美しい色彩は人の目をくらませ、正しいものを見る力を失わせてしまう。
狷恥第十三 老子 人々は栄誉を受けては驚き、恥辱を受けては驚き、また身に大患を与える
賛玄第十四 老子 道というものは注視しても見えない。そこでこれを名付けて「夷」(形の
顕徳第十五 老子 昔の道を体得した人物は、微妙な奥義に通じており、心もはかり知れない
帰根第十六 老子 無心の境地を極め、心の平静さを保ち切れば、万物が一斉に生じても、私
淳風第十七 老子 最上の君主に対しては、下にいる人民はただ君主が存在することだけを知
俗薄第十八 老子 無為自然の大道が廃れてしまったために、仁だの義だのということを重視するよ
環淳第十九 老子 いわゆる聖人とか知者とかを棄てて重視しなければ、人民の利益は百倍になる。
異俗第二十 老子 学問などをやめてしまえば、憂えはなくなる。「唯」という返事と「阿」
虚心第二十一 老子 偉大なる徳の姿はただ道に従っている。道とはただぼんやりとしていて
益謙第二十二 老子 曲がったものは完全であり、曲げたものは真っ直ぐになる。窪みがあるから水
虚無第二十三 老子 言葉が少ないのが自然なのである。つむじ風は朝が終わるまで続くことは無く
苦恩第二十四 老子 爪先立って立つものはそのまま長く立ち続けることはできないし、大股でまたぐ
象元第二十五 老子 ある物があって、混沌として入り混じって、天地より以前に生じていた
重徳第二十六 老子 重いものは軽いものの根本であり、静寂さは騒がしさの主君である。こ
巧用第二十七 老子 真によく道を行く者はその痕跡を残さないし、真に良い言葉を言うもの
反朴第二十八 老子 剛強な雄の立場を知ったうえで、柔弱な雌の立場を守っていったならば、万物
無為第二十九 老子 天下を取ってこれを治めようと手を加える者で、天下を取ったものは見
倹武第三十 老子  道に従って人主を助けるものは、武力でその国を天下の強国にしようなどとは
偃武第三十一 老子 そもそも優れた武器は不吉な道具である。世の万物はこれを嫌悪する。だから
聖徳第三十二 老子 道というものは常に名付けようがない。ちょうどあら木の様に、いくら小さくとも、
弁徳第三十三 老子 人を知る者は知者といえるが、自分をよく知っている者こそ真の明者である。
任成第三十四 老子 道は水が氾濫するように、左でも右でもあらゆるところに行き渡っている。万物
仁徳第三十五 老子 大いなる道を守って天下を行けば、どこへ行ったとしても危害を与えられること
徴明第三十六 老子 何かを縮めようとするときには、必ずその前にしばらく伸ばしてやるものである
為政第三十七 老子 道は常に何事も為さないが、それでいて成し遂げないことはない。王侯
論徳第三十八 老子 最上の徳を身につけた人物は、自分の徳を意識することがない。それゆ
法本第三十九 老子 昔は道から発した一元気を得たものがあった。天は一元気を得てから清
去用第四十 老子  道という根源に、返そう返そうとするのが道の働きであり、あくまでも柔弱にとい
同異第四十一 老子 最も優れた人物が道を聞いたならば、努力してそれを実行し、中ぐらい
道化第四十二 老子 道がまず一元気を生じ、一元気が陰陽の二気を生じ、陰陽の二気が合して三
偏用第四十三 老子 水は世の中でこの上なく柔弱なものでありながら、世の中でこの上なく堅強な
立戒第四十四 老子 名誉と自分の身ではどちらが大切であろうか。自分の身と財産とではど
洪徳第四十五 老子 真に完成したものは一見どこか欠けているように見えるが、その働きは
倹欲第四十六 老子 天下に道が行われていれば、世は平和になり、軍馬も帰されて田畑の耕
艦遠第四十七 老子 戸口から一歩も外へ出なくても天下の情勢が分かり、窓から一切外を窺
忘知第四十八 老子 学問をすれば日に日に世俗的な知識は増えて行くが、逆に道を行えば日に日
任徳第四十九 老子 聖人には、一定して変わらないという心はない。人民の心を自分の心と
貴生第五十 老子 万物は根源である道からこの世に現れ出て生き、道に戻り入って死ぬ。そ
養徳第五十一 老子 道が万物を生み出し、徳が万物を育て上げ、万物が形をとり、道の自然
帰源第五十二 老子 天下の万物にはそれを生み出した根源のものがあり、それが天下の母と
益証第五十三 老子 もし私が少しでも明知があるとすれば、大道を行くのに、ただ横道にそ
修観第五十四 老子 しっかりと確立された道は、引き抜かれることがない。しっかりと抱き
玄符第五十五 老子 徳を厚く身に修めた人物は、ちょうど赤子になぞらえることができる。
玄徳第五十六 老子 真の知者は何も言わない。逆に、何かを言う者は何も知らない。外界か
淳風第五十七 老子 国を治めるには正道で行い、兵を用いるには奇道で行うが、天下を治め
順化第五十八 老子 その政治がぼんやりして暗い状態の時は、人民は純粋でのんびりした状
守道第五十九 老子 人民を治めて天に仕えるには慎ましくするにこしたことはない。そもそ
居位第六十 老子 大国を治めるには、ちょうど小魚を煮るときのようにすればよい。無為自
謙徳第六十一 老子 大国は例えてみれば、大河の下流であり、天下の水が集まり交わる所である
為道第六十二 老子 道は万物の深奥にあって、善人が宝とし、不善人が保護されるものであ
恩始第六十三 老子 何事をも為さないようにし、何も手を加えない事を専らにし、味のない
守微第六十四 老子 全て物事は安泰のうちに処理すれば、維持しやすく、まだ前兆が現れな
淳徳第六十五 老子 昔のよく道を体得した者は、道で人民を聡明にしようとはせず、道で人
後巳第六十六 老子 大きな川や海があらゆる谷川の王となれる理由は、大きな川や海があら
三宝第六十七 老子 世の人々は皆、私の主張する道のことを、大きすぎて道に似ていないよ
配天第六十八 老子 道を体得したものは猛々しくない。よく戦うものは怒りにかられたりし
玄用第六十九 老子 兵法家の言葉にこんな言葉がある。「自分からは決して主導権を握ろう
知難第七十 老子  私の言葉はとてもわかりやすく、とても行動しやすいにもかかわらず、
知病第七十一 老子 知っていながらも、知らないと思うことは最上である。知らないにもか
愛己第七十二 老子 人民が天の威光を畏れなくなれば、必ず天罰が下されるであろう。自分
任為第七十三 老子 積極的に事を行うことにこだわれば、人を殺し自分を殺すことになる。
制惑第七十四 老子 人民が困窮のあまり死をも畏れなくなったら、どうやって死でもって人
貧損第七十五 老子 人民が飢えるのは、人民の上に立つ為政者が、やたらに税を多く取り立
戒強第七十六 老子 人は生まれてくるとき、その身体は柔らかく弱々しいが、死ぬと身体は
天道第七十七 老子 天の道と言うのは、ちょうど弓に弦を張る時のようである。弓に弦を張
任信第七十八 老子 世の中に柔弱な物はたくさんあるが、水より柔弱な物はない。しかし、
任契第七十九 老子 ひとたび人民に大きな恨みを買うようなことをしたなら、少々それを緩
独立第八十 老子  私の理想郷とは、小さな国家で少ない国民なのが良い。たとえ人より十
顕質第八十一 老子 真実を述べる言葉は美しくはない。逆に美しい言葉は真実を述べる言葉


巻耳 けんじ 詩経

巻耳を采り采るも 頃筐(けいきょう)に盈(みた)ず
嗟 我人を懐(おも)いて 彼の周行に寘(お)く

彼の崔嵬(さいかい)に陟(のぼ)れば 我が馬虺隤(かいたい)たり
我 姑(しばら)く彼の金罍(きんかい)に酌みて 維(ここ)に以て永く懐わざらん

彼の高岡(こうこう)に陟れば 我が馬玄黄(げんこう)たり
我 姑く彼の兕胱(じこう)酌みて 維に以て永く傷まざらん

彼の砠(しょ)に陟れば 我が馬瘖(や)みぬ
我が僕 痛(や)みぬ 云に何ぞ吁(うれ)わしきかな

ハコベ葉は、つんでもつんでも、頃筐(かご)に満たず。ああ彼の人を懐いつつ、道の辺におく。
彼のけわしい山に登れば、我が馬は足なえる。我しばしば彼の金の樽に酒酌み、尽きぬ憂いを忘れよう。
彼の高き屋根にのぼれば、我が馬は疲れ果てる。我しばしかれの兕胱(つのさかずき)に酒酌み、尽きぬ痛みを忘れよう。

宗廟において征夫の無事な帰還を祈願する詩である。第一章において「采采巻耳、不盈頃筐、嗟我懐人、寘彼周行」と、採取した巻耳を道の隅に置くのは、巻耳を供物として賽の神に供し、他行中の夫の無事を祈る占的行為であり、征夫の帰還を祈る女性の手によるものである。第二章以下は、征夫自らが謡ったものと解釈する説もあるが、第一章で巻耳を道の隅に置くのを謡ったのと同一の女性が征夫の労苦を仮託して謡い、夫の無事な帰還を祖霊に祈るのである。

明治書院 詩経より






桃夭 とうよう 詩経

桃の夭夭たる  灼灼(しゃくしゃく)たりその華
之の子 于(ここ)に帰(とつ)ぐ  其の室家に宜しからん

桃の夭夭たる  糞たり其の実
之の子  于に帰ぐ  其の家室に宜しからん

桃の夭夭たる  其の葉蓁蓁(しんしん)たり
之の子  于に帰ぐ 其の家人に宜しからん

桃の木はわかわかしく、その花は赤々と輝く。この子がこうして嫁いでゆけば、家庭はきっとうまくゆく。
桃の木はわかわかしく、大きな実がふくらむ。この子がこうして嫁いでゆけば、家庭はきっとうまくゆく。
桃の木はわかわかしく、葉も青々としげる。この子がこうして嫁いでゆけば、家庭はきっとうまくゆく。

宗廟において一族の乙女が嫁ぐことを祖霊に報告し、夫となる男性の家での乙女の幸福を言祝ぐ(はぐ)詩である。「之子」とは嫁ぎゆく女性を指し、「室家」「家室」とは夫となる男性の家を、「家人」とは夫の家族を指す語である。第一章において「桃之夭夭、灼灼其華」とつつやかな桃の華を謡い、第二章において「桃之夭夭、有糞其実」と豊かな桃の実を謡い、第三章において「桃之夭夭、其葉蓁蓁」と盛んに茂る桃の葉を謡って、葉から実、実から葉へと展開するのは、桃の木全体を謡っているからであり、この桃の木とは、一族の祖先の御霊が憑依する依代である。この依代に憑依した祖霊を祀り、女性の結婚を報告し、夫家での幸福を言祝ぐのである。
   


明治書院  詩経より

沢陂 たくひ 詩経

彼の沢の陂(つつみ)に 蒲と荷(はす)有り
美なる一人有り 傷(おも)えども之を如何せん
涕泗滂沱(ていしぼうだ)たり

彼の沢の陂(つつみ)に 蒲と蕑(はす)有り
美なる一人有り 碩大にして且つ巻たり
寤寐にも為す無く 心悁悁たり

彼の沢の陂(つつみ)に 蒲と菡萏(はす)有り
美なる一人有り 碩大にして且つ儼(げん)たり
寤寐にも為す無く 囅転(てんてん)し枕に伏す


沢のつつみに、がまとはす。
美しいあの人、思い寄せてもどうすることもできぬ。
さめてもねてもなすすべもなく、とめどなく涙流れるばかり。

沢のつつみに、がまとはす。
美しいあの人、すらりと高く見目麗しい。
さめてもねてもなすすべもなく、私の心は憂えるばかり。

沢のつつみに、がまとはす。
美しいあの人、すらりと高く見目麗しい。
さめてもねてもなすすべもなく、伏して枕に顔を埋めるばかり。



明治書院 詩経より

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