2015年12月

忘知第四十八 老子

学問をすれば日に日に世俗的な知識は増えて行くが、逆に道を行えば日に日に世俗的な知識は減少して行く。この世俗的な知識をどんどん減らして行くと、無為の境地に到達することができる。無為の境地に到達すれば、できないことはなくなるのである。天下を治めようとするものは、常に何もしないことを心がける。何かをしようとするに至れば、天下を治めることなどできないのである。

「学を為せば日に益し、道を為せば日に損す」。「学」は、世俗的な学問。儒家の学門志向を批判したものと考えられる。特に儒家の礼学を指すとも考えられる。学問を行えば、日に日に世俗的な知識は増えて行くが、無為自然の道を行えば、日に日に世俗的な知識は減って行く。老子は文明や学門は人間の本来的な生き方を打ち消す、無用な、害毒を流すものとして否定している。
「之を損し又損し、無為に至る」。その「世俗的な知識」をどんどん減らし続けると、無為という状態に到達する。すなわち、道とは逆行する方向性を持つ「世俗的知識」の方向をマイナスの方向にどんどん進めてやれば、最後は根元たる「無為自然」の大道に到達する、ということ。つまり老子は、「世俗的な知識」を道と乖離する人為的、作為的なものと見、それを排除せよと主張しているのである。
「無為にして為さざるなし」。無為の状態に到達すれば、あらゆることができる。我々は何か一つのことを行うと、他のことはできなくなる。逆に何もしていなければ、あらゆることができる可能性を持った状態となる。すなわち、広大無辺な道に合致するので、何もしないという状態でありながら、あらゆることを成し遂げることが可能になってくる、ということ。
「天下を取るは常に無事を以ってす」。「天下を取るは、天下を治める」の意。ここを文字通り「天下を奪取する」の意とし、「老子」の成立年代を戦国末とする根拠にする説もある。「無事」は何もしないこと。無為を旨とすること。天下を治めるには、常識的には為政者が政治を行うという動作が必要に思えるが、そうではなく、人為的な手を加えず、無為自然の道に則って、ひたすら「無為」を旨としていればよいのだ、ということ。
「其の有事に及びては、以って天下を取るに足らず」。したがって、人為的に何か事を行ってしまったならば、自然の道を阻害することになり、天下を治めることなどできなくなるのだ、の意。

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