2015年05月

六尺の孤を託す 論語 孔子

 曾子曰く、以て六尺の孤を託すべく、以て百里の命を寄すべく、大節に臨みて奪うべからざるや、君子人か、君子人なり、と。

曾子が言う、十五、六歳の幼弱のみなし子の将来を安心して頼める人、心配なく一国の政令と運命を任せられる人、そして危急存亡の大事に当たって、心を動かさず、節を失わない人、そういう人こそ君子人と言ってよかろうか。真の君子といえる人である。

「六尺の孤」とは十五、六歳の幼君のこと。当時の一尺は約二十二センチで、六尺は一メートル三十センチ程の身長。孤は父を亡くして即位した君主のこと。「百里の命」とは百里四方ほどの諸侯の国の運命あるいは政令のこと。「大節」とは、国の命運をかけた大事件を言う。我が国では、豊臣秀吉の没後、まだ幼い秀頼を奉じて二条城での徳川家康との会見を無事に終えて大阪城に帰った加藤清正を評するのに、「論語」のこの章を引くことが多い。


The true gentleman is like that.

A person whom they can entrust a 15,16 years old royal orphan's feature and one nation's governance which will continue in the long feature with no anxiety.

A person who will nevever confuse but always keep the social trust , even if facing in front of nation's disappearing crisis.

明治書院 論語 より

六尺の孤を託す 論語 孔子






曾子疾有り 論語 孔子

 曾子疾有り。門弟子を召して曰く、予が足を啓け、予が手を啓け。詩に云う、戦戦競競として、深淵に臨むが如く、薄氷を履むが如し、と。而今而後、吾免るるを知るかな。小子、と。

曾子が病気で危篤の時に、弟子たちを呼び集めて言うには、意見を聞いて、私の手や足を調べてみてくれ。身体のどこかに傷跡はないか。「詩経」の中に、戦戦競競として、深淵臨むが如く、薄氷を履むが如しー深い谷の断崖に立って落ち込むのを恐れる如く、薄い氷を渡って割れはしないかと心配する如く、戦戦競競として、おののきおそれて身を慎むーとあるように、私は父母から受けたこの体を傷つけないように、大切に身を守ってきた。まずまず、無傷で、あの世に行けるので、今になって初めて、吾が身を守る責任から解放されて、これで安心できるよ。おまえたちよ。

曾子の門人たちが編集したといわれる「孝経」に「身体髪膚、これを父母に受く。敢えて毀傷せざる(決して身体をそこない傷つけない)は孝の始めなり」という言葉がある。この章で、曾子は危篤の際に弟子たちに身の傷のないことを確かめさせ、ああこれで安心して死ぬことができると言う。子が親より先に死ぬことを逆縁といい、これ以上の不幸はないとされる。今の人は、そんなことがと思うかもしれないが、これも東洋的な考え方の一典型である。

明治書院 論語 より

曾子疾有り 論語 孔子

仁遠からんや 論語 孔子

 子曰く、仁遠からんや。我仁を欲すれば、斯に仁至る、と。

孔子が言われる、仁は人から遠く離れた存在であろうか。いや決して人から遠い存在ではない。我々が、仁でありたいと思えば、その瞬間、直ちに仁はやってくるものだ。

仁は孔子学団の目指す最高の道徳律であり、雍也編にも、「顔回はいく月もその心が仁に違うことがないが、他の人は日に一度、月に一度、たまに仁に至るだけだ(回や其の心三月仁に違わず。其の余は則ち日月に至るのみ)」と孔子が述べた章がある。だから弟子たちは仁にはとても至り得ないと思っていたのであろう。そこで孔子は、「仁に至ることができるか否か」は心の持ち方次第なのだと言う。仁の心は誰にでも本来備わっているもので、その実現は心からそうありたいと思うかどうかにかかっていると言うのである。

明治書院 論語より


仁遠からんや 論語 孔子

文・行・忠・信 論語 孔子

 子四を以て教う。文・行・忠・信。

孔子は四つの教授科目で門人を教育した。古典の講義と、徳の実践。その心の持ち方をいえば忠、すなわち、自分の心のまことを尽くす誠実と、信、すなわち、人を欺かない信義のまことである。

この章は昔から孔子学派の四教(四つの教え)と言われている。だがこの文・行・忠・信はこの四つが単に並列的に述べられているのではなく、文は詩や書(歴史)など教科の学習であり、行は日常の実践活動を指しており、この文と行の裏にあってそれを精神的に支える心の持ち方が、自分の心の誠を尽くす忠と、人を欺かないまことの信であると考えられている。伊藤仁斎も忠信が根底にあってこそこの人間の社会が成り立っていくのだと言っている。なお孔子の死後儒家は、礼(行)を重視する子夏や荀子の学統と、忠信を根底に置く曾子・子思(孔子の孫)・孟子の学統とにややその方向を意にして発展している。

明治書院 論語より


文・行・忠・信 論語 孔子

吾を以て隠すと為すか 論語 孔子

 子曰く、二三子、吾を以て隠すと為すか。吾隠すこと無きのみ。吾は行うとして二三子と与にせざる者無し。是れ丘なり、と。

孔子が言われるには、諸君らは、私が何か隠していて、諸君らに秘密にしていることでもあると思っているのか。もし、そう思うなら誤解で、私は何も隠し立てすることなんかまったくないのだ。私は行うことすべて、諸君と一緒になってしないことは無い。私のすべてを諸君の前にさらけ出している。これが私というものだ。

二三子とは弟子に対する呼びかけの言葉で、「諸君」というのと同じ。昔の人は、孔子の知識があまりに広く、その教える道があまりに深いので、その全体をつかむことができず、何か隠しているのではないかとの疑いを解こうとした言葉とする。生徒が先生を信頼するのは先生が生徒の事を心から心配していることが生徒に理解できたときであり、教師は自分の姿の全貌を生徒の前にさらけ出すことも大切である。そんな教師の姿を感じさせる章である。

明治書院 論語より

吾を以て隠すと為すか 論語 孔子

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