無心の境地を極め、心の平静さを保ち切れば、万物が一斉に生じても、私には万物が循環してその根源に立ち返るのを見ることができる。そもそも万物は盛んに生々繁茂するが、必ずその根源に復帰する。根源に立ち返る状態を「静」といい、これを「命に復る」という。「命に復る」ことを恒常不変の真理と言い、恒常不変の真理を知ることを「明」という。恒常不変の真理を知らず妄りに行動すれば、それは不吉である。恒常不変の真理を知れば全てを受け入れることができ、全てを受け入れることができれば、すべてに公平になりすべてに公平になれば、王者の徳を持つことができ、王者の徳を持つことができれば、天と一体になることができ、天と一体になることができれば、道に合致することができ、道に合致することができれば、長久の寿命を得ることができ、一生涯無事でいることができる。

Back to Taoism origin of everything.

If you attain a state of perfect self-effacement and keeping safe of mind, I can see full circulation of all back to the origin of itself if everything happens at once. In the first place everything grow flourishing, but it certainly back to it's origin. To back to origin called truth of constant fair. If you know truth of constant fair , you can accept everything. If you can accept everything, you will be fair to everything. And if you are fair to evrything , you will have the virtue of the King. If you have the virtue of the King, you can combine with universe. If you can combine with universe, you can fit to Taoism. If you can fit to Taoism, you will get forever life and will be safe life long. 

 

この章も無為自然の大道を体得した者について述べる。万物は全てその根源である道に立ち返る。これが道の恒常不変の真理なのである。この恒常不変の真理を体得した人物は道に合致することができると説く。タイトルの「帰根」とは、万物の根源である道に復帰するという意。

「虚を致すこと極まり、静を守ること篤ければ、万物並び作こるも、吾以て其の復るを観る」。「虚」は虚心であること。「静」は静心であること。「虚・静」は無為自然の道を認識するのに最適な方法。虚心に心静かにしていれば、万物が生じては、再びその根源である道に帰るという循環を見ることができる、ということ。

「夫れ物芸芸たるも、各々其の根に復帰す」。「芸芸」は草木の繁茂するさま。万物は必ずその根源たる道に復帰するものだ、ということ。

「根に帰るを静と曰い、是を命に復ると謂う」。「命」は福永光一「老子」に、「命は天が万物に命じた在り方。これを万物の側からいえば、己に与えられた本来的な在り方をいい、運命、天命、生命、性命などの意味をも含み得る」とあるように、様々な意味合いを含んだ語。根源である道の静寂さに帰る状態を「静」といい、天が与えた在り方に帰るというのだ、ということ。

「命に復るを常と曰い、常を知るを明と曰う」。「常」は恒常不変であること。「明」は聡明であること。天が与えたあり方に帰ることを、恒常不変といい、恒常不変を理解することを聡明というのだ、ということ。

「常を知らずして妄に作せば凶なり」。恒常不変の真理を理解せずに、めったやたらに何かを行ったならば、それは不吉な結果を招くことになる、ということ。

「常を知れば容、容なれば乃ち公、公なれば乃ち王、王なれば乃ち天、天なれば乃ち道、道なれば乃ち久しく、身を没するまで殆うからず」。「容」は寛容であること。「公」は公平であること。「王」は王者の徳を有すること。「天」は天理にかなうこと。「道」は道に合致すること。恒常不変の真理を理解できる→寛容にすべてを受け入れられる→公平無私の立場に立てる→王者の徳を身につけられる→天理に適うことができる→道に合致することができる→長久の寿命を得ることができ、生涯無事で危険はない、という論理。

 

明治書院 老子より