大国を治めるには、ちょうど小魚を煮るときのようにすればよい。無為自然の道で天下に臨めば、鬼神もその霊力を現すことができない。鬼神が霊力を現さないのではなく、その霊力が人を傷付けないのである。その霊力が人を傷付けないだけではなく、聖人もまた人を傷付けないのである。そもそも鬼神も聖人もどちらも人を傷つけないのであるから、その徳がこもごも人のもとに集まり、安泰になるのである。

Statused person.

The way of govern large country is just like boilling small fish. If you meet the whole of country with nothing to do natural way, devilish gods can't appear his ghost power. Not disappear ghost power but ghost power never harm everyone. Not only that the saint also harm nobody. First of all devilish gods and saint both harm nobody , the humanity virtue is gather in people's mind and safely life expand to all villege.

When boilling small fish not to cut it's figure and stay internal organs. During boilling never use strong fire and never pick it all. If not small fishes go all broken.

この章は、老子の政治論を述べる。国を統治する為政者は、無為自然の道に則って政治を行うべきだと説く。本文の「小魚を烹るが若くす」という老子の政治論は有名である。また「居位」というタイトルは、「位に居る者」の意で、為政者の心構えを述べた本章の趣旨に合致している。

「大国を治むるは少鮮を烹るが若くす」。「少鮮」は小魚の意。大国を治める為政者は、あたかも小魚を煮るときのようにすれば良い。すなわち、小魚を料理するときは、はらわたや鱗を取らず、そのまま烹て料理することになる。また、料理の最中もせっかちに火を強くしたり、やたらに箸を使ってつついたりするとすぐ煮くずれしてぐずぐずになってしまう。それと同様に、大国を治めるにはやたらに人為的な施策を施さず、自然のままに委ねればよいのだ、ということ。

「道を以って天下に莅めば、其の鬼も神ならず」。「莅」は「臨」に同じ。「鬼」は、いわゆる「鬼神」のことで死後の霊魂や神妙な力を持った者のこと。「神ならず」の「神」は、霊妙不可思議な力のこと。この無為自然の道に則って天下の政治にあたれば、鬼神もその霊妙不可思議な力を奪うことができない、ということ。

「其の鬼、神ならざるに非ざるも、其の神、人を傷つけざるなり」。今鬼神は霊力を発揮できないと述べたが、霊力がないのではなく、その霊力が人を傷つけないのである、ということ。

「其の神、人を傷つけるのみに非ず、聖人も亦傷つけざるなり」。鬼神の霊妙な力が人を傷つけないばかりでなく、人民の上に立って政治を行う聖人も、当然のことながら人々を傷つけることがない。

「夫れ両ながら相傷つけず。故に徳交々焉に帰す」。このように両者ともが人民を傷つけないのであるから、この鬼神と聖人の持っている徳がこもごも人民に集中することとなり、人々は、安泰に平和な生活を営むことができるのだ、ということ。

明治書院 老子より