世の人々は皆、私の主張する道のことを、大きすぎて道に似ていないようだと言う。そもそも大きすぎるから道に似ていないように見えるのである。道に似ていたら、それはとっくの昔に取るに足らぬ小さなものとなっていただろう。私には三つの宝がある。私はいつもそれを大切な宝として守り続けている。その一つは、慈しみ深いことであり、その二つは、倹約であることであり、その三つは、決して世の中の先頭に立とうとしないということである。慈しみ深いから、勇気が出るのである。倹約であるから、広く施すことができるのである。けっして世の中の先頭に立とうとしないから、器量のある人々の長となることができるのである。もし、慈しみ深い心を捨てて勇敢になろうとし、倹約さを捨てて広く人々に施しをしようとし、人々の後ろに身を置くという態度を捨てて人々の先頭に立とうとしたならば、命を落とすことになるであろう。そもそも、慈しみ深い心で戦えば勝ち、慈しみ深い心で国を守れば、その守りは固い。天もこれを救ってくれるであろう。慈しみ深い心で守ってくれるであろう。

Three jewels.

There are three jewels , one is charity , two is saving economically and the last is not to stand in front of  people.
One keeping christian charity. Your mind go to widely carefull with wide looking and you will have true brave mind.
Other is abanding one greed ,keeping simple life and saving economically. If you keep simple life , you will have the rest and never intend to deposit for yourself therefore you can provide to the other.
Last is not to take place in front of the people by yourself. Therefore you will no trobule to the others and talented clever gentlemen allow you , then you could become a leader.

If you breake these jewel rules you will die.
If you are merely brave , you will loose your war or you will die.
If you give others too much without saving and keeping simple life , you will go to bankrupcy.
If you willing to take place in front of many people by yourself , you will have too much troubles with others . It brings you big failure.

If you will keep this atitude , both of people inside and outside believe you and it brings nation's stable safety.

この章は、老子の道に関する「慈」「倹」「天下の先と為らず」という「三宝」についての議論である。無為自然の道を実践していくにあたって、「慈しみ深い心」と「倹約の精神」と「世の中で先頭に立とうとしないという謙虚の徳」とを守ることが肝要だと主張している。「三宝」というタイトルは、本文からの命名であろうが、章旨によく合致している。

「天下皆我が道を大にして不当に似たりと謂う」。「不当」は、似ていないこと。一説に、「悪」の意とする。「似たり」は、「のようだ」の意。世の人々は、私の説く道を、大きすぎて世俗の人々には理解し難い。それゆえ、人々は私の説を、大げさでとりとめもなく、彼らが本当の道と考える、「世俗の道」とは異なるものだと判断し、そんなものは信用できないとしている、ということ。

「其れ唯大なるが故に不肖に似たり」。しかし、そもそも私の言う道は、広大であるからこそ、人知を超えていて、道に似ていないように見えるだけなのだ。大きすぎて世俗の人々には認識できないようなので、いわゆる道らしく見えないだけなのだ、ということ。

「若し肖なば、久しいかな其の細たること」。もし、私の言う道が、世俗の人々にはっきり認識できるようなものであったら、それは広大無辺さを失って、とっくの昔に取るにたらぬ小さなものとなってしまっていただろう、ということ。

「其れ我に三宝有り。持して之を宝とす」。「三宝」は、「慈」「倹」「敢て天下の先と為らず」の三つの徳を指す。私が道を実践するにあたって、宝として大切にしている、以下に述べる三つの徳がある。そして私は、常にその三つの徳を身から離さぬように心がけている、の意。

「一に曰く慈、二に曰く倹、三に曰く敢て天下の先と為らず」。「慈」は、慈愛の徳。「倹」は、倹約の徳。「敢て天下の先と為らず」は、謙譲の徳。その一つ目は、常に他に対して慈愛の心を抱き続けることであり、二つ目は、みだりに欲望の心を起こさず、常に質素倹約を心がけることであり、三つ目は、自分から積極的には世の中の先頭には立とうとしないことである、の意。

「慈なる故に能く厷なり」。二つ目の「倹」の徳を常に心に抱いていれば、慎ましい生活を送るので物資的にも余を生じ、しかも自分のために何かを蓄えようということもないので、広く人々に施すことができるようになるのだ、ということ。

「敢て天下の先と為らず、故に能く器長を成す」。「器長」は、各分野で才能を持った多くの人々の長の意。三つ目の「敢て天下の先と為らず」の徳を常に心に抱いていれば、他に対してへりくだっているので、先頭に立つことを争っていさかいが起こることもなく、逆に世の人々から慕われ、多くの才能を持った人々の束ねとなることができる、ということ。

「今慈を捨てて且に勇ならんとし、倹を捨てて且に広くあらんとし、後るるを捨てて且に先んぜんとすれば、死せん」。逆に、慈愛の心を捨てて、何事にも勇気を持とうとすれば、それは単なる蛮勇となってしまい、身を滅ぼす結果に終わってしまう。また倹約の徳を捨てて、人々に広く施そうとすれば、無理に物資を調達することになり、これも身を滅ぼす結果になる。さらに、人々にへりくだるという精神を捨て去って、我こそが世の先頭に立とうとしたならば、他と摩擦を生じて争うことになり、これは結局は身を滅ぼすことになる、ということ。

「其れ慈以って戦えば則ち勝ち、以って守れば則ち固し」。そもそも人を慈しみ愛するという心を持つことは尊いことで、やむを得ず戦う場合でも、その慈愛の心を以って国を守ったならば、自国の民はもちろん、他国の民も信頼し、結果的に固い守りが完成するのである、ということ。

「天将に之を救わんとす」。しかも、そういう慈愛の手を差し伸べてくれるのだ、ということ。

「慈を以って之を衛らん」。慈愛の心を持つ人物に対しては、天も慈愛の心で応じて守ってくれるのだ、ということ。


明治書院 老子より