楚の狂接興歌いて孔子を過ぐ。曰く、鳳(ほう)や鳳や、何ぞ徳の衰えたる。往く者は諌べからず、来る物は猶追うべし。已みなん、已みなん。今の政に従う者は殆し、と。孔子下りて之を言わんと欲す。趨(はし)りて之を辟(さ)く。之を言うことを得ざりき。

 

楚の国で狂人と言われた接興なる者が、歌を歌いながら孔子の宿の門を通り過ぎた。その歌は孔子を鳳凰に例えたもので、「鳳凰よ、鳳凰よ。お前は霊鳥で聖君が世に出るときに舞うと聞いているのに、この乱世に出るとは何と徳の衰えたことよ。過ぎ去ったことはいまさら諫めても仕方がないが、将来の事はまだ追いかけていくこともでき、やめようとすればやめられる。やめなさい、やめなさい。この時期に政治にかかわることは、極めて危険千万なことだよ」と歌ったのであった。孔子はこれを聞きつけ、堂を下り門に出て、接興に自分の志すところを語り聞かそうとした。接興はまた、言うだけの事を言えばよいのだから、小走りに避けて通り過ぎてしまったので、孔子はこれと話すことができなかった。

 

狂接興は楚の隠者で、姓は接、名は興、世の乱れを悲しみ、狂人を装っていたので「狂接」と言われたという。鳳は鳳凰(雄を鳳雌を凰という)で、聖天子が世に出ると姿を現す霊鳥。ここでは孔子を指し、こんな乱世に遊説しているとは、なんと危ないことで、徳も衰えたものよ、と言い、孔子に隠れ住むように勧めたのである。なお「史記」は、この話は魯の哀公の六年、孔子六十四歳のときのものとしている。

 

明治書院 論語より

 

 楚の狂接興(きょうしょうよ) 論語 孔子