子曰く、無為にして治まる者は、其れ舜か。夫れ何をか為すや。己を恭しくし、正しく南面するのみ、と。

孔子が言われる、人為的なことは何もしないで、天下がよく治まったのは、いにしえの聖王の舜であろうか。舜はいったい何を為したのであろうか。ただ自分の身をうやうやしく持して、南面、すなわち、天子の位についていただけのことだ。

「無為にして治まる」の言葉は、「老子」の三章に「無為を為せば即ち治まらざる無し」があり、よく似た言葉であるが、意味は異なる。老子の「無為」は、一切の人為的なことを廃する意であるが、ここの「無為」は、顔淵編に「舜天下を有ちて、衆に選びて、皇陶を挙げしかば」とあるように、実際の政治は臣下に有能な人材を得てすべてを任せ、君主自身は自己の行いを慎んで民を感化することであり、それが孔子の徳治主義の理想であった。

明治書院 論語 より


無為にして治まる者 論語 孔子