子路君子を問う。子曰く、己を修めて以て敬す、と。曰く、斯くの如きのみか、と。曰く、己を修めて以て人を安んず、と。曰く、斯くの如きのみか、と。曰く、己を修めて以て百姓を安んず。己を修めて以て百姓を安んずるは、堯舜も其れ猶お諸を病めり、と。

子路が君子とはどのような人を言いますかとお尋ねした。これに対して孔子は、「常に自分の修養に努め、自分を慎んで怠ることのない人を君子と言うのだ」と答えられた。しかし、子路は孔子の深意が分からず、この程度の人で君子と言えるのかと思ったのだろう。子路は、「たったそのくらいで君子と言えますか」。孔子は「そうだ、自分を修養して人を安んずる、つまり、自分の人格を向上させることによって、その周囲の人を安んずるようにしていくのが君子と言うものだ」と。子路、「たったそれだけで君子と言えましょうか」。孔子は懇切に、「自分の修養が完成して、その影響が自然に人に及んで、天下万民が各々そのところを得て、その生に安んずるようにするのが真の君子というものである。しかも、この己を修めて百姓を安んずるということは、聖天子の堯や舜さえも、むずかしいこととして、苦労したところである」と言って、子路の質問を抑えたような答えをされた。

儒教の主要な教科書である四書の一つ「大学」では、政治の要諦を「修身・斎家(家を整える)・治国・平天下」といい、一人一人の身を正しく修め、一軒一軒の家がきちんと整えられて、一国が治まり天下が平和になるとする。「己を修めて以て敬す」の「敬」とは、自分をつつしむことで、これは「大学」の「修身」に当たり、それができて初めて「人を安んじ」、さらには「全ての人民(百姓 ひゃくせい)を安んずる」ことができるという。政治の根本を子路に教えた章である。

なお、「百姓」は漢文では「ヒャクセイ」と読み、人民の意である。

明治書院 論語 より

Only a self-disciplined person can disipline others.

From In English Kontu.


己を修めて以て百姓(ひゃくせい)を安んず 論語 孔子