閔氏側に侍す。誾誾如たり。子路行行如たり。冉有・子貢侃侃如たり。子楽しむ。由やの若きはその死を得ざるがごとく然り。

 

閔氏騫はなごやかに行儀よく、子路はいかにも強そうに、冉有と子貢はにこやかに、孔子のお側に待っていた。孔子もいかにも楽しそうであった。しかし、子路のような男は、畳の上では死ねそうもないなあと、孔子の一言がもれた。

 

「誾誾如」は中正を得て和らぐさま。「如」は形容語の下につける助字で「いかにも・・・のよう」の意である。「行行」は剛強なさま。「侃侃」は和らぎ楽しむさま。孝行者の閔氏騫、勇気のある子路、多芸な冉有、雄弁な子貢、高弟たちに囲まれ、話に興ずる孔子の楽しそうな姿が「子楽しむ」の言葉によく表れている。それにしても六十四歳で衛の国の乱で死亡する子路の死を予感した孔子の洞察力は何と鋭いことであろうか。「其の死を得ず」とは、普通の死に方のできないことをいう。

 

明治書院 論語より

 

閔氏側に侍す 論語 孔子