子曰く、篤く信じて学を好み、死を守りて道を善くす。危邦には入らず、乱邦には居らず。天下道あれば則ち見われ、道なければ則ち隠る。邦道あるに貧しくして且つ賤しきは恥なり。邦道なきに富且つ貴きは恥なり、と。

孔子が言われる、人は篤く道の大切なことを信じて、これを学び修めることを好むようでなくてはならぬ。そして、たとえ命にかけても、その学んだ道を善く行い、その向上に努めなくてはならない。そのためにはどのように身を持するかと言えば、危険の兆しのある国には足を踏み入れない。既に乱れて正しい道の行われていない国にはいない。天下に道義の存在する時には出て活動し、天下に道義が行われていないときには隠れて表面に立たない。これが学問をし、道を守るものの処世法である。

さて、国に道義があって良い世の中だというのに、貧乏で身分の賤しいのは、自分の働きのないためで、人として恥ずべきことである。これに反して、道義の廃れた、乱れた世の中で、富かつ身分の貴いのは、自ら道を捨てて悪に迎合したもので、これは人として恥ずべきことである。

この言に従えば癒着や不正、怠慢だらけのこの世の中は居てはいけない場所になってしまう。海外に移住しなければいけないということだろうか。正解のような気がするが無理そうなので、どんな立場に置かれようとも人としてのあり方、道を踏み外さずに道義を学んで従っていくのが大切だということのようだ。

しかし、嘘八百の政治家に年金の使い込みとGDPの倍以上の国の借金と日本に道義がもたらされたことがあるのだろうか?総理大臣からして代々ペテン総理で1年定年制になってしまっている今の日本は一体いつから始まったのだろうか?



危邦には入らず、乱邦には居らず。  論語  孔子