子曰く、賢なるかな回や。一箪の食、一瓢の飲、陋巷に在り。人は其の憂いに堪えず。回や其の楽しみに改めず。賢なるかな回や、と。

孔子が言われる、賢明だなあ顔回は。一椀の飯に一椀の汁で、むさくるしい路地裏に住まっている。普通の人なら、その貧苦に堪え切れないのに、回は相変わらず道を楽しんで勉強している。さてもえらいなあ顔回は。

今日山東省曲阜の孔子廟を訪れると、すぐそばに陋巷と言う通りがある。今はそうでもないが、昔は汚い裏道であったのだろう。述而編には「子曰く、疎食(粗末なめし)を飯い、水を飲み、肱を曲げてこれを枕とする。楽しみ(学問をする楽しみ)も亦其の中にあり」の言葉があるが、顔回は孔子のこのような楽しみを貧乏暮らしの中にもめげずに実践し、味わっていたのだろう。「賢なるかな回や」の感嘆の言葉を冒頭と結びに用いた孔子の気持ちが胸にしみこんでくる。

明治書院 論語より

賢なるかな回や 論語 孔子