伯牛疾有り。子、之を問う。牖より其の手を執り、曰く、之れ亡からん。命なるかな。斯の人にして斯の疾有るや、斯の人にして斯の疾有るや、と。

門人の舟伯牛が病気にかかった。孔子はこれを見舞ったが窓越しにその手を取って、「こういう道理はあるまいに。ああ、これも天命かなあ。こういう立派な人にして、このような病気にかかろうとは」と(繰り返し愛弟子を慰めた)。

前章に続き、徳行の科に顔淵・閔氏騫・仲弓とともに挙げられた舟伯牛の話。伯牛、名は耕、孔子より七歳若い。さて伯牛の病気はハンセン病であったという。窓から手を取って見舞ったのは、人に会いたくない伯牛の気持ちを察してのことであろう。「之れ亡からん」は「之をうしなわん」と読み、もう助かるまいとする説もあるが、「之だけの有徳者がこんな病にかかる道理はない」と解する方が孔子の愛情が直接伝わってくるであろう。

明治書院 論語 より

伯牛疾有り 論語 孔子