子、漆雕開をして仕えしむ。対えて曰く、我斯を之れ未だ信ずること能わず、と。子説(よろこ)ぶ。

孔子が門人の漆雕開に仕官させようとした。すると、開が「仕官することについて、私はまだ自信がありません」とおことわりした。孔子はその篤実で学問に志すことの篤いのを知って大いに喜ばれた。

漆雕開、姓は漆雕、名は啓、字を子開という。「未だ信ずること能わず」とは自分の身を修めて人を治める道をまだ十分に自分のものとはしていない意味である。泰伯編には「三年ほど学問して就職にあせらない人は今の時勢になかなかいない」との孔子の嘆きが載せられているが、漆雕は道に志すことが深く、栄禄に汲々としていなかった。それを孔子は喜んだのであろう。なお、「論語」の中には、孔子と弟子との直接の問答に、弟子が孔子に対して目上の人に用いる「対(こたえる)」の字を用いた例はないので、ここは漆雕開を仕官させようとしている孔子の考えを誰かが開に伝え、その人に対して開が自分の気持ちを伝えた時の会話であろうとされている。

明治書院 論語 より

子、漆雕開をして仕えしむ 論語 孔子