王孫買問いて曰く、其の奥に媚びんよりは、寧ろ籠に媚びよとは、何の謂いぞや、と。子曰く、̪然らず。罪を天に獲ば、祈る所無きなり、と。

孔子が衛へ行ったとき、家老の王孫買が、「奥の神にこびるより、かまどの神のご機嫌を取れということわざがあるが、何の意味でございましょうか」と尋ねた。(これは君主にこびるよりは権臣にこびよの諺である。)それに対して孔子は、「それは間違っている。どの神のご機嫌も取る必要はない。すべてが天の神の意志による支配である。道ならぬことをすれば天罰を受ける。天に対して犯した罪は、どの神に祈ったところで無駄でございますよ」と答えられた。

この章は孔子が魯を去って遊説に出て衛の国に行ったとき、衛の霊公の夫人南子に会った直後のことであろう。南子は素行が悪く評判の悪い人物であったが、当時の習慣に従いやむなく面会したのである。それを知った家老の王孫買が南子(奥の神)に会うより政治の実権を握っている私(かまどの神)に会った方が利益があると、ことわざを引いて語ったものである。孔子は現下に神にこびて利を得るなどもってのほかだと否定したのである。なお、奥と籠は韻をふんでいる。

明治書院 論語 より


奥に媚びんよりは籠に媚びよ 論語 孔子