有子曰く、礼の用は和を貴しと為す。先王の道も、之を美と為す。小大之に由るも、行われざる所有り。和を知りて和すれども、礼を以て之を節せざれば、亦行うべからざればなり、と。

有子が言うには、礼の運用というものは、調和が大切である。古の立派な王たちのやり方も、この和のよろしきを得たから美しかったのだ。しかしながら、大小の事柄、いかなる場合でも、この和だけにたよっていくと、うまくいかないことがある。だから、和の大切なことを知って和らいでも、秩序という礼で適当な節度を与えて、折り目、切り目をつけないと、所持うまく運ぶ者ではない。

「礼は履なり」とも言い、「礼とは人間として履み行うべき」ことの意味で、日常の礼儀作法から種々の儀式のあり方はもちろん、広く社会秩序を維持するための決まりを言う。秩序の維持は、社会が和らぎ、人々が心から慈しみあって初めて可能である。だから規則の運用にはぎすぎすせず和らぐことが大切だが、一方では節度をきちんとつけよと言う。聖徳太子の十七条憲法の第一条の「和を以て貴しとなす」も、このような考えからきている。なお、有子、姓は有、名は若、字は子有。孔子より四十三歳若い。孔子の弟子の中で、先生の尊称をつけて呼ばれている四人(あと三人は曾子・冉子・閔氏)のうちの一人。

明治書院 論語 より

礼の用は和を貴しと為す 論語 孔子