子曰く、其の以てする所を視、其の由る所を観、其の安んずる所を察すれば、人焉んぞ庾さんや、人焉んぞ庾さんや、と。

孔子が言われる、人のなすところをよく注意して視る。更にその行為のよって来る原因動機を観る。更にその人がその行ったところに果たして安んじ楽しんでいるかを察する。このようにすれば、その人の真実はすっかり分かるものだ。どうして隠せるものか。どうして隠せるものか。

この章は人物鑑定法を述べたものである。「以てする所」の「以」は「為」と同じで、人の行為をまず観察せよと言う。「由る所」とは、その行為をする原因、理由がどのようなものかを見定めよと言う、たとえ善い行いであっても、それが名誉欲や自己の利益のためであってはほんとうのものではないからである。そしてその行為が正義の心から出たものでも、つま先で立つような無理をしていては長続きしないから、自然に安んじ、楽しんで行っているかどうかまで観察する必要があるとする。そこまで深く洞察すれば、人は自分を隠すことはできないと言う。確かにその通りであろうが、容易にできることではない。孔子の求めるものの深さ、高さが理解できよう。

明治書院 論語より

人焉んぞ庾さんや 論語 孔子

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 子夏孝を問う。子曰く、色難し。事有れば、弟子其の労に服し、酒食有れば、先生に饌す。曾ち是を以て孝と為すか、と。

子夏が孝について質問した。孔子が言われるのに、子たる者の顔色、つまり表情がむずかしいのだ。骨の折れる仕事があれば、年寄にさせないで、若い者が引き受けてやる。御馳走があったら、親に召し上がっていただく。もちろん結構なことだが、それだけで孝行と言えるだろうか。そのときの顔つきがむずかしいぞ。和らぎ愉しそうな顔つきでやれなくては、と。

子夏も孔子より四十四歳若い弟子で、姓は卜、名は商。子游とともに文学に優れていた。「色難し」とは、どんなときでも父母にはむっとした顔つきをせず、にこにこしていそいそと仕事に当たることは難しい、ということ。孝行についての話が3つ続いたが、孔子の答えはすべて異なる。孔子は弟子たちの性格や健康状態、能力・適性、あるいは親への接し方など、良く知ったうえで一人一人に適した教え方をしており、孔子の教育者としての偉大さをうかがうことができる。

明治書院 論語 より

A smile on your face goes a long way.

From In English Kontu.


色難し 論語 孔子

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 子游孝を問う。子曰く、今の孝は、是能く養うことを謂う。犬馬に至るまで、皆能く養うこと有り、敬せずんば、何を以て別たんや、と。

子游が孝について質問した。孔子が言われるには、この頃の孝は、よく親を養えばよいと言うことのようだ。しかし、犬や馬でも、飼う以上は人は犬馬をよく養っているではないか。親を尊敬する心がなかったら、なんで親と犬馬とを区別しようぞ。(親に対しては愛敬の心を持って尊ぶことが大切で、よく養うだけでは親不孝ともなるのだ。)

今日でも、「ぼくは田舎の両親には毎月仕送りしているから」などと言って親孝行を任じている人は多い。このようなことは当然のことで、それだけでは犬や猫を養うのと変わりがないというわけである。親の気持ちを大事にすることを、「志を養う」といい、そのことが親を心から敬愛することになる。子游は孔子より45歳若い弟子で、姓は言、名は偃、孔子の10人の高弟(四科十哲と言い、四科とは徳行・言語・政事・文学を言う)の一人とされるが、ひょっとすると親に対する態度に誠意を欠くことがあったのかもしれない。

明治書院 論語 より

今の孝は是能く養うを謂う 論語 孔子

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