子曰く、君子は周して比せず。小人は比して周せず、と。

孔子が言われる、有徳の人は、義によって広く公平に誰とでも親しみ交わり、決して分け隔てをしない。これに反して、徳の修まらない小人は、利害や感情に制せられて、片寄った交わり方をし、広く公平に交際できないものだ。

君子に対する言葉に小人がある。小人とは君主に対しては民衆、学徳兼備の人に対しては学問もなく人間的に劣る人物のことで、ここでは後者のこと。「周」とは誰とでも公平に交際し、決して分け隔てをせず、物事の判断の基準を正義に合うか否かに置くことを言う。これに対し、「比」とはすぐに人を比較して自分の利益になるかならぬかを考え、自分に利をもたらす人とだけ交わることを言う。

この考えの背景となる章に「君子は義に喩り、小人は利に喩る」がある。君子はいつも公の立場に立ち、道義を標準にして考えるので周するのに対し、小人は私的立場で利益を基準にものを考えるので比するのである。

明治書院  論語より

君子は周して比せず  論語  孔子

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 子曰く、君子は器ならず、と。

孔子が言われる。学徳の備わった君子は、一芸一役の用をなしうるだけの器であってはならない。器を用いる働きのある人間であるべきである。

君子とは、もとはしかるべき地位にある人、殿様のような君主を意味したが、本来立派な君主は学徳があったので、後に学問、仁徳を兼ね備えた人、さらにはそのような人物になろうと努力する人をも君子というようになった。器とは茶碗やコップ、机や椅子などのことで、器にはそれぞれ用途がある。君子とはそのような一芸一役にしか役立たない人物ではなく、あらゆることのできる人、あるいはそれらの器物を用いる力量のある人のことで、君子のことを「不器の器」とも言う。公治長編には子貢に対して「おまえは器である」と評した章がある。その意味は「君はすぐれた器だが、まだ君子と言われるには遠い。自分の才能におぼれないで、さらに人間としての徳を磨き、君子になるように努力したまえ」との励ましと考えられる。

明治書院 論語 より

Without a broad view of things, one can never become a great leader.

From In English Kontu.


君子は器ならず 論語 孔子

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 子曰く、故きを温めて新しきを知れば、以て師たるべし、と。

孔子が言われる、先人の述べた学、いわゆる過去の事柄や学説などを謙虚に学び取り、思い究めながら、そこから現実にふさわしい新義が発見できるようになれば、人の師となる資格があるものだ。

この章は、「温故知新」ということわざの出典である。「温」は「あたためて」とも「たずねて」とも読む。「あたたむ」は「幾度も復習して習熟する」意で、「たずねて」は「研究する」意が重点となる。どちらに読んでも意味はそれほど変わらない。「万葉集」などの古典は研究し尽くされているようだが、それでも新しい研究者は絶えない。学問研究とは新しい発見をし今に生かすことで、その対象は尽きることなく、人類文化の発展は、「温故知新」の精神によるとも言える。孔子は、また「学は及ばざるが如くするも猶これを失わんことを恐る(学問は追いかけても追いかけても、追いつけないばかりか、それでもなお、目標を見失いがちな心配がある)」とも言う。

明治書院 論語より


Learn about old things and put a modern interpretation to them.

From In English Kontu.

う~ん。まさにその通り。

ビジネスの世界では私的には一昔前に流行ったシックスシグマ、Qualityの世界に似ている気がする。

手法やテクニックを覚えるだけではなくてその手法を、テクニックを使って現在、自分やチームが抱える問題に当てはめて解決策を導いていくというところが一番苦労するところだ。

自分では何もせずに人の手柄や成果だけを取り上げたり盗んだりすることだけに意識を集中している輩や何もしないで成果だけただ乗りしようとする輩ばかりやたらと多いのはQualityの世界も学問の世界も同じだと思う。

ただくすね取ったと思っていても、本質を理解していなかったり適用範囲や方法が間違えていたりするのでわずかな状況の違いにも対応できずに失敗するだけの結果に終わってしまうのもまた同じかもしれない。

自分の足で集めた情報で自分自身が紆余曲折の末生み出した解決策でなければ意味がないし、意外とくすねる側の人間はくすねていると思っていても、簡単にまねができるものではなくなっている。これは自分のオリジナルが多ければ多いほど当てはまる真実だと思う。

温故知新 論語 孔子

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